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最高裁判所第一小法廷 昭和51年(あ)865号 判決 1978年9月07日

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

(本件の経過)

一第一審裁判所は、本件公訴事実中、第一審判決判示第一ないし第四の各事実につき被告人を有罪とし、懲役一年六月・三年間執行猶予に処したが、「被告人は、昭和四九年一〇月三〇日午前零時三五分ころ、大阪市天王寺区生玉町五六番地先路上において、フエニルメチルアミノプロパン塩類を含有する覚せい剤粉末0.62グラムを所持した」との事実(以下「本件覚せい剤所持事実」という。)については、右日時場所において被告人から差し押えた物として検察官から取調請求のあつた覚せい剤粉末(以下「本件証拠物」という。)は、警察官が被告人に対する職務質問中に承諾を得ないまま被告人の上衣ポケツト内を捜索して差し押えた物であり、違法な手続により収集された証拠物であるから証拠能力はない、また、検察官から取調請求のあつた本件証拠物の鑑定結果等を立証趣旨とする証人は、本件証拠物自体証拠とすることが許されないのであるからその取調をする必要はない、としてこれら証拠申請を却下し、捜査段階及び第一審公判廷における被告人の自白はこれを補強するに足りる適法な証拠が存在しないので、結局犯罪の証明がないことに帰するとして、被告人を無罪とした。

二第一審判決全部に対し検察官から控訴の申立があつたところ、原裁判所は、第一審判決中有罪部分につき検察官の控訴を容れ、量刑不当の違法があるとしてこの部分を破棄し、被告人を懲役一年の実刑に処したが、無罪部分については、次の理由で、検察官の控訴を棄却した。

(一)  一般的に、警察官が職務質問に際し異常な箇所につき着衣の外部から触れる程度のことは、事案の具体的状況下においては職務質問の附随的行為として許容される場合があるが、さらにこれを超えてその者から所持品を提示させ、あるいはその者の着衣の内側やポケツトに手を入れてその所持品を検査することは、相手方の人権に重大なかかわりのあることであるから、前記着衣の外部から触れることなどによつて、人の生命、身体又は財産に危害を及ぼす危険物を所持し、かつ、具体的状況からして、急迫した状況にあるため全法律秩序からみて許容されると考えられる特別の事情のある場合を除いては、その提示が相手方の任意な意思に基づくか、あるいはその所持品検査が相手方の明示又は黙示の承諾を得たものでない限り許されない。

(二)  本件においては、椎原巡査長と垣田巡査において、被告人が覚せい剤中毒者ではないかとの疑いのもとに、被告人に所持品の提示を求めてから被告人の上衣とズボンのポケツトを外から触つた段階までの右警察官の被告人に対する行為は、職務質問又はこれに附随する行為として許容されるが、被告人の上衣の左側内ポケツトを外部から触つたことによつて、同ポケツトに刃物ではないが何か堅い物が入つている感じでふくらんでいたというに止まり、刃物以外の何が入つているかは明らかでない状況で、被告人の左側内ポケツトに手を入れて本件証拠物を包んだちり紙の包みを取り出した垣田巡査の右所持品検査については、被告人の明示又は黙示の承諾があつたものとは認められず、他に右所持品検査が許容される特別の事情も認められないから、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)二条一項に基づく正当な職務行為とはいいがたく、右所持品検査に引き続いて行われた本件証拠物の差押は違法である。

(三)  右違法の程度は、憲法三五条及び刑訴法二一八条一項所定の令状主義に違反する極めて重大なものであるうえ、弁護人は、本件証拠物を証拠とすることにつき異議を述べているのであるから、かかる証拠物を証拠として利用することは許されない。

(四)  本件覚せい剤所持の事実を認めるべき証拠としては、被告人の自白があるのみで、他に右自白を補強するに足りる適法な証拠は存在しない。

三これに対し、検察官は原判決全部に対し上告を申し立て、被告人も原判決中破棄自判部分に対し上告を申し立てた。

(検察官の上告趣意第一点について)

一所論は、要するに、本件証拠物の差押を違法であるとした前記原判決の判断は、警職法二条一項の解釈を誤り、最高裁判所及び高等裁判所の判例と相反する判断をしているというのである。しかし、所論引用の判例は、いずれも本件とは事案を異にし適切でないから、所論判例違反の主張は前提を欠き、その余の所論は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

二そこで、所論にかんがみ職権をもつて調査するに、本件証拠物の差押を違法であるとした原判決の判断は、次の理由により、その結論において、正当である。

(一)  原判決の認定した本件証拠物の差押の経過は、次のとおりである。(1) 昭和四九年一〇月三〇日午前零時三五分ころ パトカーで警ら中の垣田巡査、椎原巡査長の両名は、原判示ホテルオータニ附近路上に被告人運転の自動車が停車しており、運転席の右横に遊び人風の三、四人の男がいて被告人と話しているのを認めた。(2) パトカーが後方から近付くと、被告人の車はすぐ発進右折してホテルオータニの駐車場に入りかけ、遊び人風の男達もこれについて右折して行つた。(3) 垣田巡査らは、被告人の右不審な挙動に加え、同所は連込みホテルの密集地帯で覚せい剤事犯や売春事犯の検挙例が多く、被告人に売春の客引きの疑いもあつたので、職務質問することにし、パトカーを下車して被告人の車を駐車場入口附近で停止させ、窓ごしに運転免許証の提示を求めたところ、被告人は正木良太郎名義の免許証を提示した(免許証が偽造であることは後に警察署において判明)。(4) 続いて、垣田巡査が車内を見ると、ヤクザの組の名前と紋のはいつたふくさ様のものがあり、中に賭博道具の札が一〇枚位入つているのが見えたので、他にも違法な物を持つているのではないかと思い、かつまた、被告人の落ち着きのない態度、青白い顔色などからして覚せい剤中毒者の疑いもあつたので、職務質問を続行するため降車を求めると、被告人は素直に降車した。(5) 降車した被告人に所持品の提示を求めると、被告人は、「見せる必要はない」と言つて拒否し、前記遊び人風の男が近付いてきて、「お前らそんなことする権利あるんか」などと罵声を浴びせ、挑戦的態度に出てきたので、垣田巡査らは他のパトカーの応援を要請したが、応援が来るまでの二、三分の間、垣田巡査と応対していた被告人は何となく落ち着かない態度で所持品の提示の要求を拒んでいた。(6) 応援の警官四名くらいが来て後、垣田巡査の所持品提示要求に対して、被告人はぶつぶつ言いながらも右側内ポケツトから「目薬とちり紙(覚せい剤でない白色粉末が在中)」を取り出して同巡査に渡した。(7) 垣田巡査は、さらに他のポケツトを触らせてもらうと言つて、これに対して何も言わなかつた被告人の上衣とズボンのポケツトを外から触つたところ、上衣左側内ポケツトに「刃ではないが何か堅い物」が入つている感じでふくらんでいたので、その提示を要求した。(8) 右提示要求に対し、被告人は黙つたままであつたので、垣田巡査は、「いいかげんに出してくれ」と強く言つたが、それにも答えないので、「それなら出してみるぞ」と言つたところ、被告人は何かぶつぶつ言つて不服らしい態度を示していたが、同巡査が被告人の上衣左側内ポケツト内に手を入れて取り出してみると、それは「ちり紙の包、プラスチツクケース入りの注射針一本」であり、「ちり紙の包」を被告人の面前で開披してみると、本件証拠物である「ビニール袋入りの覚せい剤ようの粉末」がはいつていた。さらに応援の中島巡査が、被告人の上衣の内側の脇の下に挾んであつた万年筆型ケース入り注射器を発見して取り出した。(9) そこで、垣田巡査は、被告人をパトカーに乗せ、その面前でマルキース試薬を用いて右「覚せい剤ようの粉末」を検査した結果、覚せい剤であることが判明したので、パトカーの中で被告人を覚せい剤不法所持の現行犯人として逮捕し、本件証拠物を差し押えた。

(二)  ところで、警職法二条一項に基づく職務質問に附随して行う所持品検査は、任意手段として許容されるものであるから、所持人の承諾を得てその限度でこれを行うのが原則であるが、職務質問ないし所持品検査の目的、性格及びその作用等にかんがみると、所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解するのは相当でなく、捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、たとえ所持人の承諾がなくても、所持品検査の必要性、緊急性、これによつて侵害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される場合があると解すべきである(最高裁判所昭和五二年(あ)第一四三五号同五三年六月二〇日第三小法廷判決参照)。

(三)  これを本件についてみると、原判決の認定した事実によれば、垣田巡査が被告人に対し、被告人の上衣左側内ポケツトの所持品の提示を要求した段階においては、被告人に覚せい剤の使用ないし所持の容疑がかなり濃厚に認められ、また、同巡査らの職務質問に妨害が入りかねない状況もあつたから、右所持品を検査する必要性ないし緊急性はこれを肯認しうるところであるが、被告人の承諾がないのに、その上衣左側内ポケツトに手を差し入れて所持品を取り出したうえ検査した同巡査の行為は、一般にプライバシイ侵害の程度の高い行為であり、かつ、その態様において捜索に類するものであるから、上記のような本件の具体的な状況のもとにおいては、相当な行為とは認めがたいところであつて、職務質問に附随する所持品検査の許容限度を逸脱したものと解するのが相当である。してみると、右違法な所持品検査及びこれに続いて行われた試薬検査によつてはじめて覚せい剤所持の事実が明らかとなつた結果、被告人を覚せい剤取締法違反被疑事実で現行犯逮捕する要件が整つた本件事案においては、右逮捕に伴い行われた本件証拠物の差押手続は違法といわざるをえないものである。これと同旨の原判決の判断は、その限りにおいて相当であり、所論は採ることができない。

(検察官の上告趣意第三点について)

一所論は、要するに、本件証拠物の証拠能力を否定した原判決の判断は、憲法三五条の解釈を誤り、かつ、最高裁判所及び高等裁判所の判例と相反する判断をしている、というのである。しかし、所論のうち憲法違反をいう点は、その実質において、証拠物の証拠能力に関する原判決の判断を論難する単なる法令違反の主張に帰するものであつて、適法な上告理由にあたらない。また、最高裁判所の判例の違反をいう点は、所論引用の当裁判所昭和二四年(れ)第二三六六号同年一二月一三日第三小法廷判決(刑事裁判集一五号二四九頁)は、証拠物の押収手続に極めて重大な違法がある場合にまで証拠能力を認める趣旨のものであるとまでは解しがたいから、本件証拠物の収集手続に極めて重大な瑕疵があるとして証拠能力を否定した原判決の判断は、当裁判所の右判例と相反するものではないというべきであつて、所論は理由がなく、高等裁判所の判例の違反をいう点は、最高裁判所の判例がある場合であるから、所論は適法な上告理由にあたらない。

二そこで、所論にかんがみ職権をもつて調査するに、本件証拠物の証拠能力を否定した原判決の判断は、次の理由により、法令に違反したものというべきである。

(一) 違法に収集された証拠物の証拠能力については、憲法及び刑訴法になんらの規定もおかれていないので、この問題は、刑訴法の解釈に委ねられているものと解するのが相当であるところ、刑訴法は、「刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」(同法一条)ものであるから、違法に収集された証拠物の証拠能力に関しても、かかる見地からの検討を要するものと考えられる。ところで、刑罰法令を適正に適用実現し、公の秩序を維持することは、刑事訴訟の重要な任務であり、そのためには事案の真相をできる限り明らかにすることが必要であることはいうまでもないところ、証拠物は押収手続が違法であつても、物それ自体の性質・形状に変異をきたすことはなく、その存在・形状等に関する価値に変りのないことなど証拠物の証拠としての性格にかんがみると、その押収手続に違法があるとして直ちにその証拠能力を否定することは、事案の真相の究明に資するゆえんではなく、相当でないというべきである。しかし、他面において、事案の真相の究明も、個人の基本的人権の保障を全うしつつ、適正な手続のもとでされなければならないものであり、ことに憲法三五条が憲法三三条の場合及び令状による場合を除き、住居の不可侵、捜索及び押収を受けることのない権利を保障し、これを受けて刑訴法が捜索及び押収等につき厳格な規定を設けていること、また、憲法三一条が法の適正な手続を保障していること等にかんがみると、証拠物の押収等の手続に、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定されるものと解すべきである。

(二)  これを本件についてみると、原判決の認定した前記事実によれば、被告人の承諾なくその上衣左側内ポケツトから本件証拠物を取り出した垣田巡査の行為は、職務質問の要件が存在し、かつ所持品検査の必要性と緊急性が認められる状況のもとで、必ずしも諾否の態度が明白ではなかつた被告人に対し、所持品検査として許容される限度をわずか超えて行われたに過ぎないのであつて、もとより同巡査において令状主義に関する諸規定を潜脱しようとの意図があつたものではなく、また、他に右所持品検査に際し強制等のされた事跡も認められないので、本件証拠物の押収手続の違法は必ずしも重大であるとはいいえないのであり、これを被告人の罪証に供することが、違法な捜査の抑制の見地に立つてみても相当でないとは認めがたいから、本件証拠物の証拠能力はこれを肯定すべきである。

(三)  してみると、本件証拠物の収集手続に重大な違法があることを理由としてその証拠能力を否定し、また、その鑑定結果等を立証趣旨とする証人もその取調をする必要がないとして、これら証拠申請を却下した第一審裁判所の措置及びこれを是認した原判決の判断は法令に違反するものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼしており、原判決中検察官の控訴を棄却した部分及び第一審判決中無罪部分はこれを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

(結論)

よつて、検察官の上告趣意中のその余の所論及び弁護人の上告趣意に対する判断を省略し、なお、本件覚せい剤所持の事実とその余の第一審判決及び原判決が有罪とした事実とは併合罪の関係にあるものとして公訴を提起されたものであるから、刑訴法四一一条一号により原判決及び第一審判決の各全部を破棄し、同法四一三条本文により本件を第一審裁判所である大阪地方裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

(岸上康夫 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 岸盛一)

検察官の上告趣意

目次

第一 序説

一 一審判決の要旨

二 原判決の要旨

三 原判決の問題点と上告申立の趣旨

第二 上告理由

第一点 「職務質問」に関する判例違反と警職法に関する法令解釈の誤り

一 警職法による「職務質問」の法的性格と税法における質問検査権に関する最高裁判決の判旨

二 「職務質問」及び任意捜査に関する最高裁及び高裁の判例とその趣旨

三 右判例と本件所持品検査との対比による検討

四 アメリカの「ストツプとフリスク」の法理と「職務質問」

五 本件所持品検査の適法性――原判決の判例違反と法令解釈の誤り

第二点 違法な捜索・押収と解した点についての判例違反と憲法解釈の誤り

一 序説

二 国犯法による犯則調査における令状のない捜索・押収を合憲とする大法廷判決及び逮捕にともなう捜索・押収に関する最高裁及び高裁の判例――アメリカの憲法修正四条とその判例

三 本件所持品検査の合憲性――原判決の判例違反と憲法三五条の解釈の誤り<以上省略>

第三点 違法収集証拠の証拠能力を否定した点についての判例違反と憲法解釈の誤り

一 序説

二 違法収集証拠の証拠能力に関する最高裁及び高裁の判例

三 本件判決は昭和二四年の第三小法廷判決に違反する

四 憲法三八条二項と憲法三五条、アメリカ憲法修正四条と修正一四条、違法収集証拠排除の法理とその批判――原判決の判例違反と憲法三五条の解釈の誤り

第三 結論

第三点 違法収集証拠の証拠能力を否定した点についての判例違反と憲法解釈の誤り

一 本件垣田巡査の所持品検査は、上告趣意第一点で論じたように、警職法のもとにおいても許される「有形力の行使」として、違法と断じえないものであつて、その後の刑訴法に基づく適法な現行犯人逮捕に伴う、逮捕の現場での本件覚せい剤の押収までのすべての段階を通じてその収集手続に違法はなく、従つて、本件覚せい剤及びこれに関連する証拠を排除すべきものとした原判決は、到底破棄を免れないところである。

仮に、垣田巡査が被告人の内ポケツトに手をさし入れて本件覚せい剤をとり出した行為が、許される職務質問の範囲を逸脱し、強制捜査における捜索に類する強制とみられるとしても、それが憲法三五条の令状主義に反し、或いはその精神を没却するものでないことは、これまた、上告趣意第二点において詳細に論じたところである。そうとすれば、この見解に従うかぎり、本件証拠物の収集過程には、やはり、憲法三五条違反をもつて目すべきほどの重大な違法はないこととなるばかりでなく、その押収は刑訴法上も適法であるから、本件覚せい剤を証拠に採用することが憲法三五条に違反しないことはいうまでもない、この点でもその証拠としての採用が憲法の令状主義に反して許されないとした原判決は当然破棄を免れないところである。しかしながら、ここでは、違法収集証拠を証拠から排除すべきであるという原判決のよつている法理について検討を加えることによつて重ねて本件証拠物などを排除する理由のないことを論ずることとする。

二 わが国の判例を見ると、周知のとおり、(一)昭和二四年一二月一三日最高裁第三小法廷判決(裁判集一五号三五〇頁)は、「たとえ押収手続に所論のような違法があつたとしても押収物件につき公判廷において適法の証拠調べが為されてある以上……これによつて事実の認定をした原審の措置を違法とすることは出来ない。押収物は押収手続が違法であつても物其自体の性質、形状に変異を来す筈がないから其形状等に関する証拠たる価値に変りはない。其故裁判所の自由心証によつて、これを罪証に供すると否とは其専権に属する、論旨では訊問調書作成手続が違法の場合は其調書の証拠能力なしとする理論を援用して押収手続に違法ある場合の押収物件の証拠能力を否定しようとするけれども、それとこれとは事柄の性質が違う。訊問調書は供述を記載するのであり、供述は訊問手続によつて導き出されるものであるから、訊問手続の違法は供述の内容に影響を及ぼす虞があり、調書作成手続の如何により記載された内容の真偽(供述された通りに記載されたか否かについても)についての疑惑を生ずる虞がないでもない。しかし押収物の場合は押収手続に所論の様な違法があつたとしてもそれにより物自体の形状性質等に何等影響を及ぼす虞はないからである。」と判示している。この判決のこの判示部分は、いわゆる傍論(仮定に基づく論義)としてなされている形式をとつており、判例としての効力に疑義があるが、これに先立ち、昭和二三年七月一四日最高裁大法廷判決(刑集二巻八号八九四頁)が「原判決は所論の押収物件を犯罪事実認定の証拠としていないことは判文上明白である。従つて、仮りに、本件の捜索及び押収の手続に所論のような違法があつたとしても、それは原判決に影響を及ぼさざること明白であるから上告の理由とならない」と判示して捜索及び押収手続の違法が証拠能力にどのような影響を及ぼすかについての判断を避けた点からみても、また、右の第三小法廷判決の事案そのものが、巡査の兇器捜査報告書及び短刀の押収調書の記載自体からみると、問題の短刀は、被告人を現行犯逮捕した巡査が引きつづき被告人宅の中庭戸棚の上でこれを発見し、有力証拠品として署に持ち帰つたうえで司法警察官がこれにつき押収手続をとつたものと認められる事案につき、旧刑訴法一七一条が現行犯逮捕の現場で押収をなしうる者を司法警察官に限定していたことからみて、その押収手続に疑義がないわけでもないと思われる場合において、「所論匕首は司法警察官……により……警察署において適法に押収されたことが明らかであり所論の様に……巡査が不当に押収したものではないことがわかる。」とする判示につづいて、上記判示がなされている点からみても、上記の判示部分は必ずしも傍論とはいい切れない重みをもつていることがわかる。この判決の判旨にそう判断を示した高裁判例として重要なものに、(二)昭和二八年一一月二五日東京高裁判決(判決特報三九号二〇二頁)がある。本件は、警察官三名が共同被告人Kを麻薬取締法違反の逮捕状によつて逮捕するためKの住込による雇傭先におもむいたところ、Kが不在であつたが、その雇い主夫婦がKの居室を探して阿片散を発見して差し出したのでこれを任意領置のうえ持ち帰つたという事案について、同高裁が雇い主夫婦がみだりにKの部屋に入りその所持品を持ち出したことは本来許されない違法な行為であるが、任意提出による領置においては、その提出者が所持者であることは必ずしも必要でないから、これを領置した警察官の所為がすぐ違法になる筋合のものではなく、ただ、警察官が自らは直接捜索することを避けて、あらかじめ明示又は黙示のうちに、右雇い主夫婦にしようようして室内を捜索させ、その阿片散をもち出させたものとするとそれは一種の脱法行為であつて明らかに不法な押収と目しなければならないとし、本件はそのどちらの場合に属するか微妙であるが、仮に後者の場合、すなわち「令状によらない違法な押収であると仮定しても、それは押収手続が不法だというに止まり、直ちにその物の証拠能力に影響を及ぼすものとは解せられない。けだし、その証拠としての収集の手続に違法な点があつたからといつて、その物の形状、性質自体になんらの変化を生ずるわけのものでもないし、かかる違法を抑制するためにその物の証拠能力を否定しようというのは考え方として筋違いの感を免れないからである。」と判示したものであつて、その判示は本案自体についての判示ということができる(なお、前記第三小法廷の判示にそう高裁判例として、昭和二八年四月八日福岡高裁宮崎支部判決((判決特報二六号一〇四頁))、昭和二八年一〇月六日仙台高裁秋田支部判決((判決特報三五号九四頁))、昭和二五年三月九日東京高裁判決((判決特報一六号四一頁))、がある。)。

ところで、すでに上告趣意第二点の二、(2)で援用した(三)昭和三六年六月七日大法廷判決は、前記個所で引用した、本件麻薬の捜索・差押は緊急逮捕の現場でなされたものとして違憲違法ではないとする趣旨の判示に引きつづいて、被告人宅における麻薬の所持に関する「被告人の自白の補強証拠に供した麻薬取締官作成の……捜索差押調書及び右麻薬を鑑定した……鑑定書は、第一審……公判廷において、いずれも被告人及び弁護人がこれを証拠とすることに同意し、異議なく適法な証拠調を経たものであることは、右公判調書の記載によつて明らかであるから、右書面は、捜索・差押手続の違法であつたかどうかにかかわらず証拠能力を有するものであつて、この点から見ても、これを証拠に採用した第一審判決には、何ら違法を認めることができない。」との判示をつけ加えている。これも本件事案の解決のためには不必要な傍論であるし、押収麻薬自体の証拠能力についてふれたものではなく、前記(一)の最高裁判決及びこれによる前記(二)の東京高裁の判決を変更したものとも解することはできない(もつとも、この判決において横田喜三郎裁判官ら六裁判官が次のとおり証拠収集手続における重大な瑕疵は証拠の証拠能力に影響を及ぼすとの趣旨の意見を述べられていることを無視することはできない。すなわち、垂水裁判官の補足意見は、「私は重大顕著に違法な手段によつて入手された証拠を一資料としてなされた有罪判決は条理上破棄されなければならないと解するのを相当とする。しかし、そうでない軽い違法手段によつて入手した証拠を罪証に供した判決は破棄されるべきかぎりでない。判示の押収物は被疑者の身柄捜索着手前に、すなわち、私見によれば違法に捜索、押収された物ではあるがこれについては直後に裁判官の逮捕令状を得ている以上((この令状は予め得た逮捕令状に比すれば右物件の捜索押収を正当とする上において一層有力なものといえよう))証拠能力はあるといえる。」というのであり、横田裁判官の意見は証拠物の証拠能力は、本来、証拠物そのもの自体によつて判断すべきで、その物を収集した手続が適法であるか違法であるかによつて判断すべきではなく、収集の手続が違法であれば違法な手続をとつた者を処分し、それによつて違法な手続の起こるのを防止するのが合理的であるとされ、前記(一)の第三小法廷判決を援用されたうえで、「もつとも、違法な収集の手続が重大な弊害をもたらすもので、とくにそれを防止するために厳重な規定が設けられた場合は、おのずから別である。……このような場合には違法な手続によつて収集された証拠物の証拠能力を否定することもありうる。憲法三五条と、その趣旨に沿つて定められた刑訴法二二〇条とは、まさに、この趣旨の規定であると解される。」とされつつ、憲法三五条の保障する人権は、「国民の重要な基本的人権であるばかりでなく、旧憲法の時代の経験にかんがみて、新憲法は特に強く保障することにした。そうしてみればこれを侵害するような違法な手続によつて、証拠物が収集された場合は、たんに違法な手続をとつた者を処分するだけでなく、収集された証拠物の証拠能力を否定することが必要であり、実際においてそれが憲法の趣旨であると解される」とされたものであり、藤田、奥野両裁判官の意見も、「捜索押収は犯罪の証憑の収集のために行われるものであつて憲法三五条はこれに対する国民の住居、書類及び所持品についての安全を保障したものである。従つてたとえその手続が違憲であつてもなお犯罪事実認定の証拠とすることが許されるものとすれば右憲法の保障は空文に帰するからである。捜査機関に対するその違反の制裁が他にあるからといつて、かかる違憲な手続によつて収集された物件に証拠能力を与える根拠とはなり得ない」とされるのであり、小谷、河村両裁判官も憲法に違反して押収された物件を証拠から排除することに賛成され、前記昭和二四年一二月一三日第三小法廷判決は、その瑕疵の軽重を問わない趣旨であるならば到底賛同することはできない、とされたのであつた)。そして前記上告趣意第二点の二、(4)で援用した(四)昭和四一年五月一〇日東京高裁判決は、右の六裁判官の少数意見、とくに横田裁判官の意見の影響下で「証拠の収集手続の適否とこれにより得られた証拠の証拠能力の有無とは必ずしも一致しなければならないものではなく、ことに証拠物についてはその収集手続の如何により物それ自体の性質、形状に変異を来すはずがないのであるから、その収集手続の違法が当然にその物の証拠能力を失わせるものと解すべき理由はない。しかしながら、他方において、憲法三五条が基本的人権として国民の住居、書類および所持品の安全を保障し逮捕状による逮捕と現行犯による逮捕との場合を除いて正当な令状がなければ侵入、捜索および押収を受けないことを定め、またこれを承けて刑訴法上にいわゆる令状主義の諸規定……が設けられた趣旨にかんがみれば、証拠収集手続の違法が右憲法およびこれを承けた刑訴法上の規定の精神を没却するに至るような重大なものであるならば、その証拠の証拠能力を否定すべきであるが、その違法の程度が右の程度に至らない瑕疵に止まる場合においてはその証拠能力には影響がないものと解するのが相当である。」との判示を行つているのであるが、すでに前記上告趣意第二点の二、(4)で詳細に見たとおり、この判決は、結局、当該事案における違法の程度は、「憲法三五条およびこれを承けた刑訴法上の諸規定の精神を没却するに至るような重大なものであるとは到底いえないから、右の違法は本件猟銃の証拠能力には影響がない」と判示したのである。

三 このようにみてくると、違法収集証拠の証拠能力に関するわが国の判例としては、前記二の(一)に引用した昭和二四年一二月一三日の第三小法廷判決及びこれに沿う前記二の(二)に引用した昭和二八年一一月二五日の東京高裁判決が現在も判例としての効力をもつものと解することができる。すなわち、判例の立場は、違法に収集された証拠が押収物にかかる場合には、その押収手続に違法があつたとしても、それによつてその物自体の形状性質等になんらの変異を来すがはずないからその形状等に関する証拠たる価値に変わりはなく、従つてこれを罪証に供するかどうかは、裁判所の自由心証による専権に属するのであつて、押収手続の違法が押収物の証拠能力それ自体にはなんらの影響をもつものではない、とするにあると解することができる。そうとすれば、本件証拠物の収集手続に仮に原判決の判示するような違法があると解するとしても、本件証拠物(ビニール袋入り覚せい剤、万年筆型ケース入り注射器、プラスチツクケース入り注射針、記録七一丁裏、七二丁表参照)はその証拠能力を失わないのであつて、原判決が「本件証拠物の収集手続の瑕疵は極めて重大であつて、憲法三五条及び刑訴法二一八条一項所定の令状主義に違反するものであり、しかも、弁護人は本件証拠物を証拠とすることに異議を申し立てていたのであるから、かかる証拠物を証拠として利用することは許されないものと解する」とした判示は、明らかに右の判例に違反する判断を示したものというのほかはなく、原判決は、この点においても到底破棄を免れない。もつとも原判決が「弁護人は本件証拠物を証拠とすることに異議を申し立てていたのであるから」と判示したところからみると、原判決は、前記二の(三)に引用した昭和三六年六月七日大法廷判決の判旨によつたものとも考えられるが、既に述べたように、この大法廷判決の判示は当該事案の解決には不必要な傍論としてなされたものであつて、これによつて前記第三小法廷の判決を変更したものとは解されないばかりでなく、右に引用した同大法廷判決の判示は、被告人及び弁護人が証拠とすることに同意し、異議なく適法な証拠調がなされた麻薬の捜索差押調書及び鑑定書は、当該麻薬の捜索差押手続が違法であつたかどうかにかかわらず、証拠能力を有する旨を判示したに止まり、右のような証拠とすることに同意がなかつた場合に違法収集証拠が証拠能力を欠くことを判示し或いはこれを前提とする判示であると解することはできない(既に見たとおりこの点については、六人の裁判官が前記第三小法廷の判旨に疑義を表明されているがそれは少数意見に止まつている)から、いずれの点からみても、この大法廷判決は、本件の場合によるべき判例ということはできない。

四 そこで進んで、違法に収集された証拠物及びこれに関連する捜索差押調書、鑑定書などを証拠から排除すべきであるとする法理とその妥当性について見解を述べることとする。

(一) まず第一に指摘しなければならない点は、違法収集証拠のうち供述証拠については、憲法三八条がその第一項において「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」として自白その他の不利益な供述の強要を禁止している(なお、公務員による拷問を絶対に禁止する憲法三六条参照)ばかりでなく、その第二項において「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」としてその証拠能力を排除する明文の規定を置いているのに反し、憲法三五条には、その第一項に、「何人もその住居書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索すべき場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」との規定を置くに止まり、同条に違反して得られた証拠物の証拠能力を排除する旨のなんらの規定を置いていないことである。このように憲法が供述証拠の場合と非供述証拠の場合とを区別し、前者については証拠能力を排除する規定を設けながら、後者についてはこれに相当する規定を置いていないこと、従つてこれを承けた刑訴法においても、その三一九条一項において「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」とする規定を設けながら(なお、刑訴法三二二条及び三二五条参照)、違法に収集された非供述証拠の証拠能力ないし証拠排除についてはなんらの規定を置いていないことは、違法に収集された非供述証拠の証拠能力の問題を論ずる際に無視することができない点である。

アメリカでは、連邦憲法が修正四条において人及び物に対する捜索・押収に関する保障を、同五条において、二重の危険からの保障、自己負罪拒否の特権などのほか、デユー・プロセス(適正手続)によらない生命・自由又は財産の剥奪に対する保障を置いている。これらの人権保障は、連邦の司法手続においてのみ適用され、各州の司法手続には及ばない(それは各州の憲法及び立法に委ねられている)と解されていたが、一八六八年に至り、修正憲法一四条が追加されその第一項が、各州はデユー・プロセスによらないで何人の生命・自由又は財産をも剥奪してはならないという規定を設けたことから、修正四条及び五条による人権保障がどの程度までそのいわゆる「適正手続条項」を通じて、各州の司法手続に及ぶかが問題とされた。興味があるのは、まず、一九三六年にブラウン事件(Brown v. Mississppi, 297 U. S. 278)において連邦最高裁がミシシツピー州において殺人容疑者であつた黒人に対して同州の官憲などが拷問ともいえるひどい暴行を加えその自白を得て、これに基づきブラウンに対する陪審制度による有罪判決(死刑の判決)がなされた事案――この事件では、被告人は右の自白が強制によるもので真実に反するとの供述をしたが、当該自白を証拠から排除すべき旨の主張をしなかつたことを理由に同州の最高裁判所はその判決を破棄しなかつた――について、自己負罪拒否の特権をどのような場合に否定しうるかは各州が定める問題であるが、拷問によつて自白を無理やりに引き出すことは、これとは全く別の問題であるとし、修正一四条の適正手続条項は、「州の行動がわれわれの市民的政治的諸制度のすべての根底にある自由と正義の基本的諸原理に合致すること」を要求するものであるとしつつ、悪名高い星座裁判所と、その糺問手続の弊害にかんがみ、自白を強制し、このような強制による自白を裁判に利用することは、すべての国が強く嫌忌するところであつて、連邦憲法はこの国においてこれを禁止しており、本件有罪判決は、デユー・プロセスの基本的要件を欠いているので破棄されなければならない旨を判示していることである。そして、修正五条の自己負罪拒否の特権そのものが修正一四条のもとで広く各州にも適用されると解されるに至つたのは、一九六四年(Mally v. Hogan, 378 U. S. 1)であり、修正四条による証拠排除法則が修正一四条を通して各州にも適用があるとされるに至つたのは一九六一年のマツプ事件(Mapp v. Ohio, 317 U. S. 643)においてである(なお、連邦裁判所では、一八世紀の頃から、警察官が違法に取得した自白は、その信用性に疑いがあるとして証拠から排除していた((3 Wigmore, Evidence §8 22,3d ed. 1940))が、違法収集証拠が造邦の司法手続において証拠能力を排除されるようになつたのは、一九一四年のウイーク事件((Weeks v. U. S., 232 U. S. 383))がはじめてであり、また、各州の官憲によつて違法に収集された証拠の連邦裁判所における証拠能力が否定されたのは、一九六〇年のエルキンス事件((Elkins v. U. S., 364 U. S. 206))が最初である。また、マツプ事件によつても禁制品について州が証拠排除法則の例外を設けることが許されるかどうかは未解決の事項となつている。)。その後における違法収集証拠の排除に関するアメリカ連邦最高裁の判例を跡づけることは省略するが、最近号の雑誌タイム(Time, July 19,1976 P. 55)によれば、一九七五年――一九七六年の開廷期において、連邦最高裁は、(一)憲法に違反して押収された証拠が裁判に利用されたとする申立をしても、当該州の裁判所で既に修正四条に基づく申立につき十分に、公正な審理の機会が与えられている限り、連邦最高裁はその審査をしないこと、(二)州で別件の捜査過程で違法に押収された証拠物であつても、連邦の税法違反の民事手続における証拠として採用することを妨げないこと、(三)駐車違反で自動車を運び去つて保管した場合にその車内から令状なくして押収したマリフアナを証拠として採用することは許されること、(四)入国管理のためチエツクポイントでない場所で一斉検問によつて自動車を停車させて車内見分の結果発見した証拠が許容されること、をそれぞれ判示した旨を伝えており、さらに、連邦最高裁は、やがて、警察官のその行動がその場の状況からみて合理的と考えられ、しかも、警察官が全くの善意で行つたと考えられる場合には、その押収物のすべてについて証拠としての許容性を肯認することになるであろうと予測し、バーガー長官及びホワイト判事は、適当な事件が審査の対象となつたときに、このような判断を示すべき時期が来ていると語つた旨を報じている。ともあれ、アメリカの判例は、アメリカの社会の実情とその世論に応じつつ、個人の人権の保障と社会秩序の維持(犯罪の発見と犯人の検挙、処罰の必要)といつた基本的な理念の間に適正なバランスを保つために絶えず変動をつづけていることがわかるのである。

右のアメリカにおける沿革からも明らかなように、連邦裁判所では、古く一八世紀頃から、まず、拷問その他の強制による自白がその信用性に疑いがあるという理由で排除されていたのに反し、修正四条に反して違法に収集された非供述証拠が排除されるようになつたのは、これより遙かに遅れた一九一四年のウイークス事件が最初であり、(ウイークス事件の判決は、当然には修正四条の解釈からは生まれないものと解されたので、州で排除法則をとらなかつたものは、一九四九年当時三〇州を越えていた。)さらにこれが、修正一四条のデユー・プロセス条項を通して州の裁判手続にも適用されるようになつたのは一九六一年のマツプ事件に至つてである(なお、前記ブラウン事件の判決があつたのは一九三六年であつた。)、しかも、後に述べるようにその排除法則には多くの例外が認められており、さらに、その排除法則それ自体が右に見た最新の裁判例やバーガー長官の発言と伝えられるところによつてもうかがえるように次第に緩和され、やがては実質的に廃止される傾向にあることを看取することができる。

このようにみてくると、わが憲法三八条二項が「強制・拷問若しくは脅迫による自白」についてその証拠能力を排除する明文規定を置いているのはアメリカの判例を引用するまでもなく、自白自体がその真実性に欠けるおそれが多いという点はもとより、それが警察官の故意による違法行為に基づき、無理に自白をひき出す点で、「自由と正義の基本的諸原理」に反し、明らかに、デユー・プロセスに背反するものとして当然のことであつたと考えられる反面、憲法三五条に反して違法に収集された証拠能力についてなんらの定めをしていないのは、これを立法政策ないしは憲法の解釈に委ねたものと解するのが相当であつて、現在、刑訴法上この点につきなんらの規定がないことにかんがみると、その解決は、もつぱら判例によるほかはないことになるのである。もつとも、刑訴法一条は、「この法律は、……公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」と規定し、刑事司法による実体的真実の発見と刑罰の適正迅速な実現をその究極的な目的としてかかげつつも、刑事手続(捜査手続を含む。)における公共の福祉の維持(犯罪の発見と犯罪者の検挙、訴追による社会秩序の維持回復がその主要な内容である。)と個人(犯罪者を含む。)の基本的人権の保障との間に適正な調和を保ち、この両者の理念を二つながら全うすることを要請しているのであつて、違法収集証拠(物)の証拠能力を論ずる場合にも、この刑訴法一条の精神を十分考慮しなければならないことはいうまでもない。

このように考えてくると、前記二の(一)及び(二)にかかげる第三小法廷及び東京高裁その他の高裁判決の判示は、わが刑訴法の窮極目的とする実体的真実発見主義を重視する立場からは、いわば当然の帰結であつて(これらの判例が説くように証拠物はその収集手続きが違法であつても、その物自体としての証拠価値になんらの変異をもたらさないことは自明の理である。)、しかも、この場合に違法な手続きによつて侵害された犯罪者の人権は、他にこれを補償する方法がある(憲法一七条の国家賠償をはじめとし、違法行為を行つた官憲に対する刑事上、行政上の制裁、特に刑訴法における準起訴手続の規定、さらには警察自体による自己規制と世論による厳しい批判なども含まれる。)ことにかんがみると、その違法の程度がなんぴとの目からみても許されないような、いわば、拷問、脅迫、その他強制によつて自白を無理やりにさせた場合にも比すべき重大なものである場合には格別、たんに憲法三五条の令状主義に違反するというだけの理由で、いまだ、デユー・プロセスの基本理念に反するとまではいえない場合にまで、その証拠物及びこれに関連する証拠資料をすべて証拠から排除すべきであると解するのが相当でないことはいうまでもないところである。前記第三小法廷をはじめとする高裁判例は、その表現にもかかわらず、右に述べた意味でのデユー・プロセスに違反する場合にまで違法収集証拠の証拠能力を認めたものとは解されないから(このことは、既に述べたそれぞれの判例の事案の内容からも、また、「これを罪証に供すると否とは其((裁判所の))裁量権に属する」とする第三小法廷の判示からもうかがうことができる)、現時点においても、この意味で妥当するものであつて、本件事案について本件証拠物の証拠能力を否定した原判決は、実質的にみても、これらの判例に反する判断をしたものといわなければならない。そして、このような考え方は、アメリカを除く主要な先進諸国の多くにおいて、違法収集証拠について一般的にはその証拠能力が排除されていないこととも合致するのである。例えば、ヘイドン(J. D. Heydon, Illegally Obtai-ed Evidemce (1)' Crim, L. R. 603((1973)))によれば、イングランドでは、関連性のある証拠は、たとえ違法その他不当な方法によつて得られたものであつても、証拠として許容され、ただ、裁判所はその証拠の使用を認めることが被告人に対して不公正に(unfairly)作用する場合にはこれを排除する裁量権をもつているが、実際の運用においては、被告人の身体、財産に対する違法な捜索、違法な血液検査、身体検査による証拠も許容されているとされ(なお、後記マーテインによればカナダにおいても同様である。)、スコツトランドとアイルランドでは、証拠を得る際の違法は必ずしも証拠の許容性をなくするものではなく、問題は、市民の自由に対する不当な侵害から市民を保護する利益と犯罪についての証拠を獲得する国の利益とをいかに調和させるかにあるとし、そして証拠を許容するかどうかの基準は、警察官の用いた違法な手段が証拠収集につき熟慮された計画の重要な部分であつたか、それとも偶発的なものであつたか、その用いた手段自体の違法の程度が重大であつたか否か、それが犯罪を構成するかどうか、緊急性があつて違法にでも証拠を確保する必要があつた等のほか、犯罪が重大であるかどうか等によるとされている。また、マーテイン(G. A. Martin, The Exclusi-onary Rule under Foreign Law. 52. J. of Crim. L. & Criminology 271((1961)))によれば西ドイツでは違法収集による証拠の使用が禁止されるのは、そのような証拠が人間の尊厳・黙秘権及び国家の利益に反して得られた場合に限られ、実際には、その違法が基本的権利及び国家の利益に対する重大な侵害である少数の事件において証拠から排除されるにすぎず、その他の場合には、違法収集証拠が広く証拠として許容されているとされ(なお、西ドイツでは、その刑訴法一三六条において不任意の自白に関する証拠禁止の明文を置いているが、違法収集証拠については、規定がなく解釈に委ねられている。このように、わが国と同じく自白についてのみ証拠排除の規定を置いているのは、ナチス時代のにがい経験と被告人が訴訟当事者であつてこれに対して不利な自白を強要することはその地位に反するという考慮とにあるものとされている。)、ノルウエーでは、その収集行為が重大な計画された違法行為であり、残酷な又は特に不当な扱い方によつて行われた場合には証拠が排除される十分な根拠になるとされているのである。

(二) そこで、次に、違法収集証拠の排除法則について特異の発展を示しているアメリカの法理にふれながら、憲法三五条の令状主義に反する証拠物は当然に排除されなければならないとする原判決の考え方にさらに反論を加えることとする。

アメリカで証拠排除法則を認める理由は、前記一九一四年のウイークス事件の判示によると、修正四条に違反して収集された証拠を裁判で使用することを許すとすれば、修正四条による保障は価値を失い、憲法から削除されたと同様になるというのであつた(前記二で引用した横田、藤田、奥野各裁判官の意見もこれに通ずるものである。なお、アメリカ連邦憲法には、既にみたとおり、拷問、強制等による自白を証拠から排除する特別の明文規定がないことに留意を要する。)。その後の発展した判例の理由づけをみると、一方では、憲法に反して収集された証拠を裁判所すみずから裁判の資料として利用することは、司法の廉潔性を害し、裁判所自体に対する信頼を失墜させるという考え方、他方では、捜査官の違法な捜索押収を防止するには、違法に収集した証拠を排除することが――とくに職務熱心の余りこの種の違法行為に出ることが多いことを考えると――最も効果的であるという考え方にあるということができる。しかしながら、アメリカ連邦の排除法則、つまり、憲法修正四条に違反する捜索及び押収によつて得られた証拠は、その使用に対する異議が適時になされた場合には、被告人に対し不利益に使用することはできず、この場合排除される証拠は、違法行為により直接収集された証拠に限らず、それによつて得られた情報から間接的に得られた証拠(物的証拠と供述証拠の両者を含む。)にも及ぶ(これが「毒樹の果実」の理論といわれている。)とする法則には、(一)被告人は、他人の権利の侵害によつて得られた違法収集証拠については、その排除を申し立てる適格をもたない(いわゆるstandingの問題)、(二)私人による違法行為の結果得られた証拠については適用がない、(三)違法収集証拠も被告人の供述に対する弾劾証拠としては使用することができる、(四)大陪審の手続においては、これを使用することができる(U. S. v. Calandra, 414 U. S. 338((1974))。この判決は、排除法則は、憲法上の権利として認められているのではなく、その抑止効果を通じて憲法修正四条の権利を一般的に保護するため裁判所によつて考案された政策的な救済手段である、としている。)、(五)被告人が任意にその証拠物の占有、所有の事実を認め又は供述した後には、その排除の申立をすることはできない、(六)違法な捜索によつて現われた情報であつても、それとは独立のソースから得られた証拠や官憲の違法行為と問題の証拠の発見との間の因果関係が最初の違法行為による汚れを除去するほどに稀薄になつた場合のその証拠は、排除されない(これは「毒樹の果実」の理論の適用除外の場合である。)、とする多くの例外が認められているのであつて、前に述べた「司法の廉潔性」という根拠については、排除法則自体が被告人側から適時に異議の申立があつた場合に限り適用されることとされているばかりでなく、右に述べた排除法則の例外の(一)いわゆるスタンデイングのない場合、(二)私人による違法収集の場合、(三)弾劾証拠として利用する場合、(四)大陪審で利用する場合などのように幅広く排除法則が適用されない場合を認めていることをみると、その根拠は極めて薄弱であるといつてよい(現に最近の判例ではこの論拠を用いるものは見当たらない。)し、違法収集証拠を排除することによつて違法な警察官の活動を抑止するという効果をねらうという政策的な根拠についても、実証的研究に基づいてその効果を疑問視する意見(LaFave, Imprving Police Performance through the Exclusionary Rule, Part I, 30 Mo. L. Rev. 391((1965))。なお、後出カプラン教授の論文参照。)が表われており、また、例えば、バーガー長官は、Bivens v. U. S, 403 U. S. 388((1971))において、証拠排除法則は、違法な捜索・押収によつて有罪の証拠を発見された犯罪者だけを保護するためにその利益のためにのみ働いおり、違法な捜索によつてなんらの有罪に結びつく証拠を発見されなかつた善良な市民を保護するためには少しも役立つておらず、違法なこの種の捜査活動を抑制するためには、例えば、これによつて人権の侵害を受けたすべての者に対し、簡易な手続による賠償等の手続を考えるのが筋であるとする趣旨の意見を表明しているのである(なお、カプラン教授((John Kaplan, The Limits of the Exclusionary Rule, 26 Stanford Law Review 1027, 1974))は、連邦の証拠排除法則は、違法な警察活動の抑止と有罪者の処罰という価値との間をつなぐ連続線上の恣意的な一点をその調和点としてとらえたものにすぎず、この二つの極の間によりよいバランスをとりうる一点がみつかつたとすれば、この法則は当然それによつて変容すべきものであるとし、現在の法則の改革の方向として、最も重大な事件((例えば、殺人、武器を用いる強盗、犯罪組織による誘拐、麻薬犯罪等))は、この法則の適用から除外すること、違法な捜査を抑止するために警察自身が真剣な監督責任をとつている場合((通達や警察の訓練・研修がここに含まれる。))を除外することによつて警察自身による責任を強化すること等を示唆している。)。

このようにみてくると、アメリカにおいても、連邦の証拠排除法則は、修正四条に当然に含まれる法則であるとは考えられておらず、むしろ、違法な捜索・差押を抑止するための「司法的監督」の手段として考案され、いわゆるウオーレン・コートの時代にその適用範囲を拡大してきたのであるが、それは、前記ジヨージ教授の論文にも述べてあるように(ジユリスト六一一号一一七頁)「ウオーレン・コートの刑事手続に関する判例は、憲法哲学に関するいくつかの原理によつて性格づけられているようにみえる。第一に、刑事事件を規制する基本的な基準は、連邦最高裁判所及びその他の連邦裁判所によつて樹立されなければならない。……第二に、捜査こそ刑事事件の最も重要な段階であり、刑事司法制度のうちで最も司法的監督が必要とされる構成部分である。……第三に、デユー・プロセスは相対的な概念であり、刑事の有罪判決を破棄するためにはその公正さを徹底的に損うような基本的な誤りが事件の手続に存在しなければならないという伝統的な考え方は、憲法的に好ましくない慣行、特に警察官によるそれを制御する装置として満足に作動していない。従つて、捜査官憲が遵守しなければならない憲法上の諸基準を明確に特定して規定する必要がある。」とする一つの憲法哲学(それはアメリカが連邦制をとつていることとも密接な関連がある。)に指導されたものともみられるのであつて、それはアメリカにおける行きすぎた捜査活動の抑制の必要という当時の要請に合致するものであつたとしても、この憲法哲学が今日のアメリカでは既にバーガー・コートのもとで犯罪多発の現状に即して大幅に変更されようとしており、国情を異にするわが国に、この特異な発展をしたアメリカの連邦証拠排除法則、いわんや「毒樹の果実」の理論が当然に妥当するものと速断することは早計にすぎるものといわなければならない(なお、これらの点につき青柳文雄「刑事訴訟法通論」下巻五訂版二六七頁から二六九頁参照)。

以上論じたところからも明らかなように、わが国憲法三五条の解釈として、アメリカの証拠排除法則をそのまま導入することを必要とするような社会的基盤がわが国に存在しないこと、特に警察官による目に余るような違法捜査の多発という実情は全く見られないこと、警察自体による自己規制が強く行われており、世論の監視も厳しいこと、その存在の主たる根拠を違法捜査の抑制という司法的監督権による政策的配慮に置くとみられるこの連邦法則を、わが国の憲法を基本とする全体的な法体系の中に矛盾なく導入することには、幾多の問題があることなどにかんがみると、この連邦法則をわが憲法三五条の解釈としてにわかに採用し難いことは明らかであろう。このようにみてくると、憲法三五条の解釈としては、既に前記(一)に述べたように、憲法三五条に違反して収集された証拠はすべて証拠能力を失うと解すべきではなく、その違法(憲法違反)の程度がすべての人の正義感覚、人道感覚を害する程度に達した、いいかえれば、デユー・プロセスに反すると認められる程度に達した場合に、はじめて憲法三一条の趣旨をも考慮して証拠から排除せられるべきものと解するのが相当であると考える(そして前記第三小法廷及びこれに従う高裁判決は、まさに、このことを判示したものと理解しうることは既に述べたとおりである。)。

そこで、本件事案についてこれをみると、上告趣意第一点でこれを論じたように垣田巡査の所持品検査は、警職法上も適法と解する余地があり、同第二点で論じたように、仮に、これが強制に当たるとしても、憲法三五条に違反せず、少なくともその令状主義の精神を没却するものではないと解されるのであるから、仮に百歩を譲つて、それが憲法三五条の令状主義に反する違法な捜索手続と解すべきものとしても、本件事案における違法の程度は、到底、デユー・プロセスに違反する程度に達しているとはいえず、本件証拠物、いわんやこれに関連する鑑定書、警察官の証言等についてその証拠能力を否定した原判決は、この点においても明らかに前記第三小法廷及びその判示に沿う高裁の判決に反し、憲法三五条の解釈を誤つたものとしなければならないのである。

第三 結論

以上詳細に論じたように本件証拠物及びこれに関連する鑑定書、警察官の証言等は、いずれの点からみても、その証拠能力を排除すべき根拠はないのに、その証拠能力がないことを前提としてこれを証拠から排除したうえ、自白の補強証拠がないことを理由として本件覚せい剤所持の事実につき無罪の言渡をした第一審判決を正当として支持し、右無罪部分に対する検察官の控訴を棄却した原判決は、前記上告趣意第一点、第二点又は第三点に述べたとおり、最高裁及び高裁の判例に反し、憲法三五条の解釈を誤つた結果によるものであつて、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は刑訴法四〇五条一号、二号、三号、四一〇条一項によつて到底破棄を免れないものと思料するので、更に適正な裁判を求めるため本件上告に及んだ次第である。

弁護人関田政雄の上告趣意<省略>

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